曖昧

とうかちゃん

 

 

わたしは人間が一生のうちにするほとんどのことが嫌だというのに気づきました。成長とは、今までの自分の殻を破ることではなく、今の自分よりも大きな自分で自分を包む、生まれ変わるように包むことのような気がします。わたしはいつまでも、言い訳をし、甘え、何もできないでいます。そんなことを考えて生きているのが辛いと思います。ぶつかったり、転がったりして石が丸くなるまえに、わたしはいつも割れては感情を四方に転がして、破滅してる気がします。いつ大人になれるのだろうか。境目なんてないのだろうか。曖昧なもののなかではいつも、もがく自分がみえて苦しいのです。

幼さをだきしめて

うさちゃん

 

うさちゃんが近くに住んでいたら、お散歩しながら写真撮って、喫茶店でいろいろなおしゃべりをしたかった、こころのなかの思いをお話ししたかったな、このブログは喫茶店の中なのかしら、そういうともだちが身近にほしかったな。

 

わたしの奥深くにしまいこんだ、ちいさな子どもを抱きしめてあげようと思いました。その子どもはずいぶん弱っていて、暗い部屋のなかでよこたわっている、いままでその子をいなかったことにして無視していた、暴走したその子を1封印してしまった、その子を感じて生きていくことはできなかった、ある意味暴走していたのは当たり前の反応だったのに責めてしまった、封印するくらいなら現実に耐えられなくなって死んでしまったほうが実はわたしがわたしを生きていたのかもしれない。

いまはロボットのように現実社会を生きていくために矯正してしまっている、その子と融合することではじめて、現実社会を生きるいっぽう、わたしがわたしとしてわたしを抱きしめてあげることができるなら、こんどはその子に身体を近づけてみようと思う、それがわたしにとってのおとなになることなのかもしれない、ひとつひとつを紡いでみよう。

 

幼さをだきしめてみよう

 

 

外界を知る

とうかちゃん

わたしは前ブログを書いた日よりすこし大丈夫になりました。

食欲も戻り、やせ細った顔はすこし丸くなり、安心しています。ストレスによる不眠も自然に消えて、2時までにはしっかりと眠くなるよ。よかった。

今まで、自分は大丈夫な人間だと思ってたけど、全然大丈夫ではないことに気づいたのは、やっと自分で生活を営むようになった時です。最近、やっとこれは自分の人生なのだと自覚できている。前は、高校の進路の先生が言っていた迷信を洗脳のように頭に叩き込んでは社会を恐れたり、限られた道でしか私たちは生きていけないんだよ?という脅しに怯えていたのかもしれません。でも今は、こんな生き方もあるよ、と自分で知らことができてるんだ。いつも思う、高校の時、見させられた世界は本当に狭かったと。改めて、いい大人に出会えていなかったことに気づいた。わたしは今、外界を見てはたくさんのことを感じ、高校の時よりもずっと生きやすい道を探そうとしている。

大人はいつも子供を脅している、と思います

そんな風でしか、社会を知らしめることができないんだな、はぁと思います。

とうかちゃんのお散歩写真がすきです

日常のにおいと、温度が伝わってくる、とても!

東京に遊びに行ったときはぜひ一緒に散歩して写真を撮ったりしたいな…(最近わたしは散歩にハマってる)

おやすみなさい

憂鬱

とうかちゃん

わたしもこの時期になると気分が落ち込みます。

最近いろんなことがあって、本当に疲れてしまう

まず恋人ができたこと。精神的に余裕もないことから、恋人の存在が重くなり、面倒になり、次第に想う気持ちも薄くなっている。嫌いになりたいわけじゃないけど、どうしても恋人の存在を受け入れられないのです。そしてあまり恋愛に興味がないのです。付き合ってみて分かったことです。頻繁に会いたいとか、触れ合いたいなどの気持ちが無いことに気づきました。一度、肩に手を回されたとき、その時は頑張っていたのですが、帰ってから、やっぱり嫌な気持ちになって、怖くなって、恋愛向いてないなと思った。父親の存在がなかったことや、両親が不仲だったこともあって、男女の愛に嫌悪感を感じてしまうのは仕方がないのかなと甘やかしています。

近くに海があるんだけど、最近、海を見たらすごく憂鬱になります。恋人と夜の海に行くときは毎回鬱っぽくなって帰ったら涙が出そうになるんです。そういうわけで、恋愛はしばらくやめたい。普段でも心の波が激しいのに、恋愛によってすごく揺さぶられ、とても大変なことになってる。ごめんなさい、最近鬱っぽく、ネガティブなことしか考えられない。

最近は知らない街を放浪することで、気分を晴らしてるよ。一人だと寂しいけど、一人だから落ち着くこともある。

悲しいことばかりが思い浮かびます。最近はインスタグラムで嫌な経験をしたので、やはり、自分を大切にできてないな、と自覚してる。自分を大切にする気持ちがいつのまにかなくなりそうになっている。

大切な人がそばにいないのは、やっぱり辛いです。自分への価値を確かめられないのです。

大学生になり、わたしは調子が良い時があんまりないのです。とうかちゃん、どうかこんな文章でも許してください。

梅雨だね

うさちゃん

 

梅雨はいつもげんきがないのです。

それでも、毎年すこしずつ元気に梅雨を過ごせるようにはなっている。

3年くらいまえまでは寝込むことしかできず、春からはじめたものはこの時期には辞めざるおえなかった。

やっとバイトに通えるようにまではなったけど無気力になるし、いつも気にならないことで落ち込むしやんなっちゃうな〜

 

でも、そんな時だからこそ気づくことも多い。外界のことへの気力がなくなっていて内界へ引きこもるからなのか。

わたしはずっと、力んで生きてきたんだなあと思った。押すことしか知らないのかというくらいにダメだと思えば思うほど力が入る。死ぬほど頑張ればどうにかなると思って生きてきた。でもなんだかいつも心身ともに疲れていて、しんどい。

 

それに気がついてから脱力するイメージを思い浮かべるようにした。

 

海の高台にすわっていて、水色の空に雲が浮かんでいるのを見ている絵

 

海をみているとなんだかなにもかもどうでもよくなって、悩みも馬鹿らしくなるなるなんて話はよくあるよね。それと一緒のようなもので。海に行かなくても何者からも縛られずにここにいることに、すぐに気がつけるように、この絵を思い浮かべる。すると、ちょうどいい力のぬけ具合になって余計な自責もせずにすむ。

 

雨はきらいじゃないけど、梅雨が終わるのを待つばかりです。

 

 

航海

とうかちゃん、おはよう!

目まぐるしく日々が変化して、わたしはもう着いていけない。取り残されて、感情の整理もつかないまま、直感を頼って何とか生きて一日を更新してるよ。

わたしは恋とは融解だと思う。

心を溶け合わせること、というか。でもそれは何か相手の心の一部破壊しなきゃいけないし、自分も何か心を開かせて裸にならないといけない。恋愛はそんな挑戦的な試みなんだ!って。

それってきっと、男女じゃなきゃできないし、今までもきっと、そんな試みはなかったんじゃないかな?だから初めてで分からないというか、でも、それが普通だよね。それを経験して、すこし大人になれるのかな。

恋愛の、かかってこいや!とか積極的になれよ!ぶつかれよ!の精神がまさに、その挑戦的な態度(笑)だとおもったんだ!すごくすっきりした。それでいいんだなって。わたしはこのまま突き進むことにするよ。

福永武彦の愛の試みという本には愛についての文章がいつくか書かれて、その中に、

「肉親とか、友人たちとか、隣人とか、そうした他人への愛は、彼の中に潮のように満ちたり引いたりしながら、孤独の砂浜を濡らしている。彼は渚にあって遠い沖の方を望み、この足元を濡らしてる波ではない、もっと冒険と期待と夢とに充ちた海へ、出掛けて行きたいと思う。彼が望むのは処女なる海、もっと遠くにある、彼のまだ知らない魂の荒潮である」

という文章があってそれがとても印象的で。愛する人との恋愛は冒険であり、どこまでも遠いところまで行くことなのだろうかって、それは何かを超えた、素晴らしい力だなあって思ったの。

色々考えてしまう!恋は、愛は、探究してもしても海のように広いね、ずっと考えちゃう

そうだね。人はひとひとり、違った身体も魂も所有してる、一つの惑星なのだから、それになにも変わっているなんて、無いと思う。むしろ、変わってるかどうかで人を判断するほど浅はかな試みはないな、とわたしは思う!

人はひとひとり違って当たり前、その事実だけが慰められる、そう考えられる人になりたいな!

すごくお話が楽しくてたくさん書いちゃう

オススメの本気になる!なにかぶつかってみたい、おもいっきり。

Ps

最近、植物の持つエネルギーをすごく感じます

ぶつかりたい

うさちゃん

お久しぶりです。

本をおすすめできてほんとうによかった。わたしはいつだって書いたものを振りかえると恥ずかしくなるよ。うさちゃんの書いたもの、とても美しいよ。

 

そして、あのとき言いたかったこと、やっと言葉になりました。

うさちゃんはよく、わたしたちは変わっているのかもねと言っていたね。

たしかに、かわっていると思うし、すこし世間とはずれているかもしれないね。

でもね、わたしは特別だと思っていない。そこに自分を保存しようとは思わない。

ひとりひとりがちがう、ただひたすらにちがう。

それだけではないのか。もちろん、そう思えないときもあるけどね。でもそういう姿勢を志したい、そんなかんじです。わたしもつい最近気がついたことだからひとに言えたことではないんだけどね。

 

 

あたらしい生活がはじまったようだね。

男の子には慎重にね、もう男の人だから、とついつい余計なお世話をしたくなってしまう!

傷つくのもまたひとつ、でも、うさちゃんのほんとうのことを話せるような相手に出会えたらいいね。

わたしは全力でぶつかってみたくて、がむしゃらだったな。

でもさ、でもさ、ひとと全力でぶつかってみたくない!?

いつも「こいよ!」って喧嘩腰で相手に接してた、その威勢のわりに隙だらけで堕落してることのほうが多かったけど。

恋は消極的すぎるんだよ!もっとぶつかりあおうよ、本気でかかってこいよ、こわがってるんじゃねえよ!と思うのです。なんか、ヤンキーみたいだね。根が不良なのかもしれないや。

恋とか愛とかの先にいってみたい、でも、もしかしたらもういるかもとも思う。いまこの瞬間をよくよくよくよくみてみるとほら、奇跡がそこにある。

きらきらしているよ。

 

p.s. そういえば、望月峯太郎の「バタアシ金魚」という漫画はまさにがむしゃらでぶつかっていくお話です!もしよければ読んでみてね。