晴れ

毎年秋になると、とても幸せな気持ちになって散歩に出かけたくなるのだけれど、今年はなんだか心が沈むだけの季節です。なんだかおかしい。

わたしも金木犀の匂いを嗅ぎました。高校生の時は帰り道に大きい金木犀があって、いつも立ち止まって嗅いで帰っていました。匂いで言えば金木犀の香りが一番好きかもしれないと思う。色もとてもかわいい。

服を買いたいなお出かけしたいな、見た目をかわいらしくしたいな、そんな気持ちになってみたい。ともちゃんが近くにいたら、すこしでもおしゃれして待ち合わせしたい。

わたしは秋の太陽が好き。あったかくてつめたい、感じが好き。

現実的なことを考えるといつも生きることをやめたくなってしまうけどずっと季節のことを考えていれば飽きることはない。心が腐ってしまわないような、心のうまい操り方を知りたい。

今年はとにかく元気がでない、いつのまに今年が終わっていたとしても、その方が楽だなあと思う。時の流れさえ興味がなくなっていく。しかし季節だけは目で匂いで追っていきたいです。

うさ

夏のいたずら

いかがおすごしですか。

わたしは、踏んだり蹴ったりのまいにちで、みずから転びにいってみたり歩きだしたりとほとほとじぶんでもなにをしているんだかと呆れ返りますがどうやらいまはこうしていたいようなのです。

 

秋めいてきましたね、やはりわたしはどの季節も愛しています、梅雨はすこしばかりかぽろぽろとあたまから何かがこぼれ落ちていく音が聞こえてきますが。

 

きょう、公園で座っていると金木犀のかおりがしました、秋だなあなんて思う間もなく足をかきむしる、夏のいたずらに微笑ましくなりました。

 

いま、街の人々は眠っているのだろうか、はたまた昨夜のわたしのように泣きじゃくっているのだろうか、それとも愛するひとと笑いあっているだろうか、ただただ静けさとすずしい風の中できもちが良い夜です。

 

ねむりたくない夜と、ねむりたくなる昼を繰り返す、生きるということは迷うことなのかもしれないとこの頃感じています。

 

そういえばこの間船に乗る夢を見ました、いよいよ港の近くというところで実はこの船は核を運んでいて放射能が漏れ出したと告げられる、逃げ出して海の近くにある自宅と思われる家に隠れてみるも、皮膚はただれていきました。その時、母も一緒にいたことが判明して声にもならぬ叫びで「おかあさん死なないでください」と唱えました、母が死ぬことなど考えてもいませんでしたがいずれこの世からいなくなってしまう、明日死んでしまうかもしれないそういった中でわたしたちは生きている。

ひとは悲しいかな信じていないと生きてはいけない、当たり前のように信じていないとこころがこわれてしまう。しかし信じないことを良いとするわけでもない、けれど信じることと信じないことは同じくらいに幻想なのかもしれないと思いました、そうした綱渡りのような生をわたしたちは産まれてしまったからにはどうにも過ごしていかなければならないようです。

 

できればこんな話だけを人としていたい、そうもいかないからこそこうしてやりとりができることをうれしく思います。

閉じこもる

こんばんは

わたしは最近、あかりちゃんのお察し通りに元気がないです。

もう人と関わるのも疲れた、だから今日をもって自分の殻に閉じこもろうと思います。仕事もできるだけ何も感じないようにいようと思う。

 

さようなら、、さようなら、、、って感じ。

 

期待して自分を思ってくれていないような言葉が返ってきたらとてもつらくなってしまうから、ひとりひとりに期待を持つのを薄れさせています。

わたしはひとりなんだなと思った瞬間空っぽだってことに気づいてしまってかなしい。これって生きている意味あるのかな。これがスタートなのかもしれない。

 

今年は夏が夏じゃないみたいだった、夏の憂鬱もまた夏の一つなのかもしれない。

 

 

熱帯夜

最近、というか3年くらい前から狂っているというようなことを言われます、この間もそういうことがあった。そんなものは百も承知でそれでも良いと思っている、わたしが狂っていなかったらなんなのだろうか、世間の物差しとかではなく本質的にどこかがおかしい。

良い意味でいう人もいれば悪い意味でいう人もいる、わたしは良い意味ととりたいと思っていますが、そんなことはさておきそういえばわたしは人のことをなるべく批評したくないと思っていたことをふと思い出しました、こころでは思ってしまいますが少なくとも公言したくない。

それは根本に世間で言う冷酷な気持ち、わたしでいうあたたかな気持ちがあるからです、勝手に生きて勝手に死ねばいいという気持ちです、あなたの好きなようにすればいいよ自由にすればいいよという、ですがそれはほんとうのやさしさなのか疑問に思いはじめました、こころのどこかでこうなってほしいと思っているのではないか。

正直になることが正解なのか、嘘をつくやさしさが正解なのかわからなくなってしまった、伝わらなくても伝えることが誠実さなのかな…?わたしは少なくとも自分への誠実さを忘れてしまったときがとてもつらくなります、じぶんのことが嫌いになります、わたしも他者も勝手なもので自分のために生きているといいながら他者のため、と思いがちでそこの境界線が曖昧になる。

もっと冷酷になれたらと思いました、しかし捨てきれないどこか他者へのあまえがあるのでしょうか。せめて何を言われてもじぶんはじぶんと思えるようになりたい、冷酷さの中に熱さを持ってみたい。

 

狂ってると言われた方が居心地いいよー!それがまるでいけないことのように言われるのはなんかさあ、なんなんだよ!と正直怒りを感じます。狂うならとことん狂ってあなたを身勝手に光の中に取り込んでしまいたい!なあ!って思うわけです。

 

わたしはわたしを生きてやるが、おまえはどうだい?と言えるくらい冷酷さの中に熱さを持ちたい、そんなことを思った夜でした。

うさちゃんに会いたい

うさちゃんへ

 

とごまでもかけていきたい。

想像するだけでからだがふっ、と軽くなる。

太陽の下、お月さんの下、どこまでもかけて、疲れるまであそんで、疲れたら倒れるように眠ろう。

今日もどこかでうさちゃんは悲しんだり笑ったりして、わたしもここで悲しんだり笑ったりしててさ。

うさちゃんに会える日を楽しみにして、理想の女の子に近づこうとしています。

痩せて、かわいい洋服を着てあなたに会いたい!恋してるみたいだね、なんか。

 

どこまでもかけていきたい。

ひとりででもかけていけるくらいつよくなりたい。

冬をこんなにも楽しみに待つのははじめてです。

 

きっと素敵な冬になるよ。

そしてその冬をなにかしら形にしてそれをまたうさちゃんにみせたい。

わたしのこころのなかの輝きを、胸をぱっくりと開いてみせてみたいよ。

安心したいな

とうかちゃん

わたしは今日、一日中落ち込んでいました

なぜか分からないけどずっと深い穴に落ちてるような気分でした

とうかちゃんは、突然自分のことがめちゃくちゃ嫌になる時ってない?わたしは定期的に、そしてそれは頻繁にある。

なんか自分のしてることが、恥ずかしいと思います。そんな時は、自分がとった写真とかも、全部嫌になるし、とにかくなんでも壊したくなる、消したくなる。

あと最近、大学に行く必要もなくて、完全に一人で、それはそれは自由でいいんだけど、すごい寂しくなって、やっぱりラムがいたらな、とか近くにとうかちゃんのような子がいて遊びに気軽に誘いたいなとか、思うだけで全然現実はちがくて泣いてます

友達欲しいけど、わたしの行動とか言葉とかあまり共感されなくて、怖がられたり、変な子やなみたいなのを遠回しに言われたり、なんか、それで人と話すのも仲良くするのも完全に苦手になった。、

共感して欲しいし理解されたいのに、それも怖くて、わたしは一体何がしたいんだろうと思ってまた泣きそうです

友達欲しいな、でもわたしはわがままで、本当に気の合う人しか無理なんだ、ただでさえ人間が苦手だから…

わたしは、安心する存在が近くに欲しい、

孤独が肥えてきて、大変だー!

 

誰かに話したくて、書いてしまった、ごめんね

 

うさより

記憶がほしい

うさちゃん

たくさんのことを思い出しました、お風呂の黒いタイルに反射する水色の光、母の瞳、レースのカーテンをこえて差し込む光、眠れなくて夜と朝の間の青い時間、廊下の磨りガラスの光、水色、窓の外の庭の緑、暑い夏クーラーの効いた安住の地、冬の静かな部屋、入院中の天井、無音の中の音を。

わたしは記憶喪失です、今も、時を越えて忘れ続けています。

記憶を飛ばすことは気持ちのいいことです、自分がいなくなるような気持ちよさを、脳から記録が崩れ落ちていく気持ちよさを、気持ち悪いと感じてからぐらぐらとさまよい綱渡りしてきたけどこれは何か違って、自らぐらぐらしているのではなく、ぐらぐらさせられている。

 

そうだね、殻を破った蛹は蝶になるように生まれ変わってしまうのかもしれない、でも地続きの毎日をすこしずつ、すこしずつ、自分を突き抜けていくことは生まれ変わるというよりはやはり殻を破ることのような気がしています。幼虫から蛹になって、蝶になることは全く違って見えるけど実は同じ卵から生まれてる。

 

思い出したとき、何かが変わった、心臓の下あたりに宿した記憶は呼吸をはじめた。それでもなお、日常的に忘れようと無意識のうちにしているらしく記憶力の低さに自覚して驚く。けっきょく、わたしは外のことなんかどうでもよくて、内のことだけ気にしていて、内のことさえどうでもいいのだ、外のことを無視することは内のことを無視することな気がする、そんなのいやだ、記憶がほしい。