熱帯夜

最近、というか3年くらい前から狂っているというようなことを言われます、この間もそういうことがあった。そんなものは百も承知でそれでも良いと思っている、わたしが狂っていなかったらなんなのだろうか、世間の物差しとかではなく本質的にどこかがおかしい。

良い意味でいう人もいれば悪い意味でいう人もいる、わたしは良い意味ととりたいと思っていますが、そんなことはさておきそういえばわたしは人のことをなるべく批評したくないと思っていたことをふと思い出しました、こころでは思ってしまいますが少なくとも公言したくない。

それは根本に世間で言う冷酷な気持ち、わたしでいうあたたかな気持ちがあるからです、勝手に生きて勝手に死ねばいいという気持ちです、あなたの好きなようにすればいいよ自由にすればいいよという、ですがそれはほんとうのやさしさなのか疑問に思いはじめました、こころのどこかでこうなってほしいと思っているのではないか。

正直になることが正解なのか、嘘をつくやさしさが正解なのかわからなくなってしまった、伝わらなくても伝えることが誠実さなのかな…?わたしは少なくとも自分への誠実さを忘れてしまったときがとてもつらくなります、じぶんのことが嫌いになります、わたしも他者も勝手なもので自分のために生きているといいながら他者のため、と思いがちでそこの境界線が曖昧になる。

もっと冷酷になれたらと思いました、しかし捨てきれないどこか他者へのあまえがあるのでしょうか。せめて何を言われてもじぶんはじぶんと思えるようになりたい、冷酷さの中に熱さを持ってみたい。

 

狂ってると言われた方が居心地いいよー!それがまるでいけないことのように言われるのはなんかさあ、なんなんだよ!と正直怒りを感じます。狂うならとことん狂ってあなたを身勝手に光の中に取り込んでしまいたい!なあ!って思うわけです。

 

わたしはわたしを生きてやるが、おまえはどうだい?と言えるくらい冷酷さの中に熱さを持ちたい、そんなことを思った夜でした。