生きたい

うさちゃん

写ルンですでたくさんの瞬間を切り取れたらいいね

わたしもやってみようかな、最近iPhoneで撮った写真をプリントしようと思ったら量が多すぎて選びきれないしお金もすごくかかることがわかって、それだったら限られた数を定期的にプリントした方がいいのかもって思った、それに何度も取り直しができないしより瞬間を写すことができそうだし現像した時にはじめてできあがりがみれるのも楽しそう

ほんとうは一眼レフで撮ってみたいな

 

人と深く関わるときに、自分のこうしたいという気持ちを一旦置いて(というのが良い表現なのかわからないけど)決して妥協するとか諦めるとかではなく、相手のリズムと自分のリズムをあわせていく、寄り添おうとする(これも何と表現したらいいかわからないけど)そういったことはほんとうにむずかしいなと感じた日だった

悪くいえば、自分のこうしたいという気持ちを押し殺す面もあってそれが裏目に出たときはなんとも言えない気持ちになって、押し殺した面と寄り添いたいという面がどちらも自分の中で粉々になっていくような感覚、よかれと思ってやったのに相手を怒らせたり悲しませたりともう真逆の結果に陥る

わたしは人の為に何かをするのが嫌いで、自分がしたいからすることしかしないでいたし今だってそうなのだけれど、こういうことはしたいからするのとは少し違ってそう簡単なものではなく自分にはとても難しい

悲しいのかなんなのかとにかく言葉にならない気持ちになって、たくさん泣いて、泣いて、毛布にくるまって気がすむまで泣いていたら自分のそばに自分を感じてあたたかい気持ちになった

昔からそうなんだけど、毛布にくるまって気がすむまで泣くと安心した気持ちになる、これはすごく特別なもののような気がする

いつか何よって思うようなことも笑ってあらあらと思えるような心を持ちたい、ちょっとしたことでツンケンしないでわざわざ拾わずにいたい、でもそのかわり本当に嫌だということはきちんと言えて何か悪いことをした時は素直に受入れてごめんなさいを言えるひとがいい、そうなるにはやっぱり自信というのか自己肯定感というのか、そういうのが必要だと思う

 

やっぱりまだまだ自信がない、自分にできることってなんだろう自分にしかできないことってなんだろう、自分の良いところはどこなんだろう悪いところはどこなんだろう、まだわからないな

 

素敵なおねえさんになりたい、無口だけどやさしくてかわいいおねえさんに

最近は言葉数を少なくする努力をしている、間を持たせるかのようにお話をしてしまったり口が勝手に話す時があって、両親と暮らしていた時の癖みたいなものなのか、道化になって人を笑わせようとする癖もある

言葉数を少なくして、丁寧に話すよう心がけてみるとなんだかおっとりした口調になって心地良かった

そんなに急いで話さなくていい、なにも急がなくていい、急げば急ぐほどころんで逆に遅くなるわたしなんだから

 

無口だけどやさしくてかわいいおねえさんになりたい

瞳にたくさんの光をあつめられる目がキラキラしたひとになりたい

わたしはわたしを生きたい

近くにわたしを