記憶がほしい

うさちゃん

たくさんのことを思い出しました、お風呂の黒いタイルに反射する水色の光、母の瞳、レースのカーテンをこえて差し込む光、眠れなくて夜と朝の間の青い時間、廊下の磨りガラスの光、水色、窓の外の庭の緑、暑い夏クーラーの効いた安住の地、冬の静かな部屋、入院中の天井、無音の中の音を。

わたしは記憶喪失です、今も、時を越えて忘れ続けています。

記憶を飛ばすことは気持ちのいいことです、自分がいなくなるような気持ちよさを、脳から記録が崩れ落ちていく気持ちよさを、気持ち悪いと感じてからぐらぐらとさまよい綱渡りしてきたけどこれは何か違って、自らぐらぐらしているのではなく、ぐらぐらさせられている。

 

そうだね、殻を破った蛹は蝶になるように生まれ変わってしまうのかもしれない、でも地続きの毎日をすこしずつ、すこしずつ、自分を突き抜けていくことは生まれ変わるというよりはやはり殻を破ることのような気がしています。幼虫から蛹になって、蝶になることは全く違って見えるけど実は同じ卵から生まれてる。

 

思い出したとき、何かが変わった、心臓の下あたりに宿した記憶は呼吸をはじめた。それでもなお、日常的に忘れようと無意識のうちにしているらしく記憶力の低さに自覚して驚く。けっきょく、わたしは外のことなんかどうでもよくて、内のことだけ気にしていて、内のことさえどうでもいいのだ、外のことを無視することは内のことを無視することな気がする、そんなのいやだ、記憶がほしい。